1910年
日本は朝鮮を「日本国」としました。
もともと住んでいた朝鮮の人たちもこの時から
大東亜戦争に負けるまでの35年間
日本人として生活していたことになります。
韓国の人たちが問題にするのは
日本が朝鮮を併合していたこの35年間のこと
ということになります。
慰安婦問題もこの35年間に起きています。
(慰安婦問題については後に詳しく書きます)
朝鮮に住んでいる人たちからすると、
「はい、今日からここは日本で
みなさんは日本人ということになります」
となるわけですから、
びっくり仰天。
「ここは朝鮮という国で、立派な王朝もある
我々はその歴史ある国の立派な国民だ!!
急に日本軍がやってきて、いきなり日本なんて言われたって
そんな理屈が通るわけないだろ!!」
と、全ての国民はそう思っていた、
のかわ分かりませんが、
一部の人たちは大変屈辱的な思いを
されていた方もいたはずです。
日本は今、アメリカの属国なわけですが、
一応国として独立した形を保っております。
しかし、明日からここはアメリカで
あなたたちはアメリカ国民です。
なんて言われたら、どうでしょう?
中には
世界ダントツ1位の経済力と軍事力を持つ大国アメリカと
一緒になることを喜ぶ日本人の方もいると思いますが、
2000年の歴史を持つ日本という国が消えてなくなることに
対して、憤慨する人もいると思います。
1910年、日本は朝鮮半島を「日本」としたわけですが、
日本の教科書や一般的な報道を見てみますと、
なぜ日本がわざわざ朝鮮を日本国とする決定をしたのか?
その経緯について触れられている部分は極わずかか
もしくは、全く書かれていないことがほとんどです。
大抵は
「軍部が暴走して、日本が世界に侵略していった」
という内容のものがほとんどだと思います。
実際に私もそのように教育され、
軍部が暴走して、軍事国家となり、
日本はアジア諸国に侵略の手を伸ばしていいったのだ、
と思っていました。
全くその経緯を教えられないまま
もしくは意図的に隠されたまま
42年間(ザ・バイクマン店主の42歳のオッサンです)
を過ごしてきたわけです。
立派な歴史もあり、ちゃんとした民族であり、
長期間続いている立派な王朝のある朝鮮という国を
なぜ、日本はわざわざ反発を恐れずに併合したのか?
その理由を考えることなく、
単に「日本が侵略した」とだけ教えられてきました。
そこで今日は日韓併合への経緯と
日韓併合の実態を考察していきたいと思います。
まずその経緯から。
朝鮮は日清戦争で日本が清に勝つまで
清の「属国」でありました。
もちろん李氏王朝という立派な王朝が
存在しておりましたが、
身分的には清の王朝>清の使者>李王朝と
清の使者よりも低い身分とされていました。
1392年に李王朝ができたときは立派な王朝で
国民も幸せな生活を送っていたのかも
しれませんが、500年も経つと、
王朝は腐敗し国民は極貧の生活を
送ることになってしまいました。
李王朝末期のソウル南大門の写真
1880年代のソウル南大門大通り(中心街)
そんな朝鮮が
日清戦争で清国からの完全な独立を確保するわけです。
その後朝鮮国内でも日本のように近代化を進めるべきだ
とする抗争が起きます。
壬午軍乱(じんごぐんらん)
甲申事変(こうしんじへん)
が起きますが、いずれも失敗。
500年続いた強固な体制を打ち崩せず、
なかなか自力で近代化を進めることができませんでした。
李王朝末期の国民の識字率はなんとたった4パーセント
しかありませんでしたので、
情報伝達すらまともにいかない状態では
世論がまとまることすらできません。
朝鮮への日本の影響力は当時強大でしたが、
日本は強制的に近代化を推し進めることなく
我慢強く朝鮮の近代化を待ち望んでいました。
日本が清と戦争までして、
朝鮮を大韓帝国として完全に独立させたかった理由は
ロシアの南下政策で朝鮮が簡単に占領されてしまうと
日本にもロシアの侵略の手が伸び
日本の独立が危ぶまれるからです。
朝鮮が1国としてきちっと独立していてくれれば、
ロシアは簡単に朝鮮半島に入ってくることはできません。
日本は我慢強く、朝鮮半島の人たちが自らの力で
近代化を進めていくことを見守っていました。
日本国内には日韓併合したほうが手っ取り早い
という勢力ももちろんありましたが、
伊藤博文は日韓併合に強く反対しておりました。
朝鮮は立派な国であり、
立派な国民が住んでいる。
長い歴史もあるちゃんとした国なのだから、
他国がずけずけと入っていくべきではない。
と主張していました。
日本の総理大臣を4回も務めている
伊藤博文が日韓併合に反対していたわけです。
日韓併合反対勢力の頂点に伊藤がいたわけでが、
そんな伊藤がなんと朝鮮人(安重根)の手によって
ハルピン駅で暗殺されます。
日韓併合に反対していた伊藤博文が
朝鮮人の手によって暗殺されるとう
大事件が起きてしまいました。
伊藤博文を暗殺したのは
一応安重根ということになっていますが、
一説には南下政策を進めていたロシア兵スパイの狙撃で
あったという説もり、現在でも謎に包まれています。
後に伊藤博文暗殺事件につても
詳しく書きたいと思います。
ともあれ、
反日韓併合の頂点であった伊藤が
暗殺されたことで、
結果として日本国内の日韓併合勢力が
力を付けるということになりました。
こうして、1910年
日本は大韓帝国を併合し、
朝鮮半島は日本となったわけです。
遅々として進まなかった朝鮮半島の近代化ですが、
日韓併合の伴い、
近代化は一気に進みます。
ソウル南大門
1936年の南大門大通り
興南工業団地
この写真を見比べて
どちらが朝鮮国民のために良かったのか?
ここではあえて触れません。
ここでは日韓併合が良かった・悪かったではなく、
事実としてこのように変わった、ということだけに
的を絞りたいと思います。
日本政府が行った朝鮮統治に実績を見てみますと
・身分制度とそれに伴う特権や差別の廃止
・奴隷の解放(国民の30%が奴隷でした)
・女性の解放
(それまで女性は名前を持てなかった)
(再婚もできなかった)
・衣服の自由
・瓦屋根や2階建て以上の家の制限撤廃
・人身売買の禁止
・宦官(かんがん)禁止(官僚のタマタマを取って去勢すること)
・纏足(てんそく)の禁止幼少期より足に布を巻き、足が大きくならないようにする中国の女性に対して行われていた風習
・少女の妓生(きしょう)の禁止 少女を接待の踊り子みたいに使うこと
・呪術的医療の禁止
・私有財産の保障
・土地測量と地籍の確定
・近代企業制度の商法の確立
・通貨制度の整備
・度量衡の統一
・罪刑法定主義を徹底(私刑の禁止)
・残虐刑の禁止
・行政の単位をそれまでの1族から家族に規定
今の日本のように家族単位で管理するため
それぞれの名前が必要
創氏の目的でもあった
・家長の権限を制限
・選挙制度の導入
・道路・橋・鉄道(4000キロ)、港湾整備、電源開発
・治水工事による耕地拡大・農業の近代化
・大規模な植林(6億本)
・小学校5000校以上、大学など1000校以上建設
・ハングルの整備と普及
などなどなど、
日本は多額の投資を行って
朝鮮半島の近代化を推し進めます。
その結果として
・GDP成長率4%(本国日本より高い成長率)
当時の世界平均は2%
ちなみに当時の日本は3%
・1人当たりの国民所得が40ドルから80ドルへ
・日本資本の大量流入(80億ドル)
・耕地面積が2倍に
・収穫量が3倍に
・農産物・工業製品の輸出急増(利益倍増)
・人口が1300万人から2600万人へ
・平均寿命が24歳から56歳に
日本は江戸時代でもすでに50歳ですね
・識字率が4%から61%に
ま、こんな感じになりました。
これが悪かったというのなら、
まぁ、私にはちょっと理解に苦しみます。
もちろん歴史ある国が他国によりいきなり併合されるわけ
ですから、屈辱的な気持ちももちろんあったと思います。
もともとあった李王朝とその特権階級にいた人たちは
日韓併合によって完全に解体されるわけですが
もともとあった勢力が解体されるときというのは
少なからず既得権益にどっぷりつかっていた人たちからの
抵抗というのはどの国でも起こることです。
日本国内でも同じような争いはありました。
明治維新がまさにそうで、
新旧勢力の攻防があり、
日本人同士で多くの血が流れました。
(江戸城は無血開城でしたね)
日本が大韓帝国に入り、併合するということは
李王朝の既得権益者から、当然強く抵抗を受けるわけです。
この中で、日本が当初強権的に併合を推し進めていたという
部分はもちろんあるともいます。
しかし、そういった強制力がなければ、
500年以上続いた強固な李王朝の利権構造というのは
崩せなかったのであろうと思います。
現に朝鮮の国民自身での近代化はできなかった。
これは薬と同じだと思います。
明治維新の際、日本人同士で血を流したのと
李王朝の支配体制から日本風になる過程で
流れた血と
本質的には変わらないということです。
李王朝の既得権益体制を打破するのに、
日本政府がいくらかは強権的であったかと思いますが、
この部分だけを取り上げて
「日本は朝鮮を植民地にし悪いことをした」
とか
「日韓併合で朝鮮人を苦しめた」
「ハングルも朝鮮の名前も奪った」
というのは
ちょっと一面的すぎるように
私には思います。
韓国政府は日本に対して
日本は謝罪しなけれなならない
日本は侵略を反省しろ
と強く言ってきているわけですが、
では
同じように占領していた台湾の人たちは
韓国と同じように日本を攻めているのか?
実際には台湾は非常に親日的ですし、
韓国のような攻め方をしておりません。
この差はいったいどこにあるのか?
大東亜戦争後に勃発した朝鮮戦争で
アメリカが朝鮮半島の半分を取ったわけですが、
そのことが大きく関係してるようにも思えます。
詳しくはまた別の機会に項目を分けて
書いてみたいと思います。
ということで、
日本は大韓帝国を併合し
近代化を成功させましさた。
このことが朝鮮半島に住む人たちにとって
良かったのか悪かったのか
ここでは結論は宿題としますが、
現実的に近代化が急速に進んだわけです。
今までこの日記で書いてきた
アーリア人の植民地政策と
日本の政策とでは
大きく異なるんだ、ということが
良くわかったと思います。
もともとその国に住んでいた人たちを
他国がああだこうだすることに変わりはありませんが、
まぁ、日本の政策のほうが
アーリア人の植民地支配と比べれば、
圧倒的に民主的であるし、人道的である
ということは間違いないと思います。
次回は満州国建国の実態に迫りたいと思います。
追記
上記資料の
人口増加と識字率のデータですが、
いろいろ調べましたが、
どうもいまいち出所がはっきりしません。
人口が増加したから、日本は良い統治をしたのだ
というわけではない。
というのは、
アメリカに統治されたフィリピンでも
イギリスに統治されたインドでも
同様に人口増加がみられることを考えると
「人口増」=「良い統治」という
単純なことにはならない。
この辺のデータも今後さらに詳しく調べていきたいですね。
また、
1910年の識字率4%も、少し懐疑的に見たほうが
良いかもしれません。
歴史は調べれば調べるほど、
知りたいことが増えてきますねぇ・・・
宿題が多いわぁ
おしまい。
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