昨年の7月20日に書いた日記
「知識植民地時代」の2回目。
過去の日記はこちら
http://www.thebikeman.jp/nikki/2016-07-20.html
経済学の歴史をいろいろ調べていた時に、
とにかく難し語彙がやたら出てくるのに辟易して、
こりゃ、知識の独占がしたいだけじゃないかなぁと思い、
知識植民地時代という表題の日記を書きました。
しかし最近、少し考え方が変わってきたので、
前回の知識植民地時代の2回目を書きたいと思います。
例えば算数。
1+1=2
これが分からないと引き算ができません。
引き算が分からないと
掛け算が分かりません
掛け算が分からないと、
割り算がわかりません。
算数が分からないと、
数学についていけません。
数学が分からないと
物理が分かりません。
相対性理論も、量子論も、
最新の宇宙理論も
全ては小学校の時に習った基礎の上に成り立っています。
数学も経済も物理も政治も、
あらゆる場面で専門の語彙を使い、
現象を一般化しグループ分けを行います。
その中で更なる新しい概念が生まれます。
難しい言葉を使わないほうが
もちろん知識の独占を防ぐことができませす。
みんなが分かる言葉で極力伝える方が良いに決まっています。
しかし、
微分積分の概念を小学生に教えることは出来ても、
彼らが、実際に難しい微積の数式を解くことはできません。
ところが、よくよく思い出してみると、
実は微積の概念は小学校で少し習います。
円の面積の問題です。
https://www.youtube.com/watch?v=Q0lDZYLf8GM
この動画で説明している円の面積の求め方には
限りなく細分化し、それを足し合わせるという
積分の考え方が使われています。
この基礎があってはじめて、
高校生になってから習う微分積分が理解できるように
なるのだろうと思います。
そして、
実際に数式を理解することで、
微分積分の概念をより深く理解できるようになると思います。
小学校の時に習った円の面積の求め方を思い出し、
ああ、そう言うことだったんだぁ~と
より深く理解します。
学問を基礎から積み上げてい中で、
残念ながら、難しい数式や言葉を理解する過程が
どうしても必要になってしまいます。
従って
難しい言葉や数式を使うことが
知識植民地(知識の独占)を促すのではなく、
その問題の本質は
「教育の機会」が均等かどうかではないか?
と思うに至るようになりました。
そして、その教育の機会が無料である
と言うことがより重要なんだろう思います。
知ろうと思えば、いつでも、だれでも、無料で勉強できる。
之こそが重要なんだろうと思います。
図書館でも、放送大学でも、ネットでも
無料で学べる機会が探すと結構いっぱいあります。
特にネットは教材の宝庫です。
もちろん間違った情報も多くありますが、
大学の授業なんて、普通にただで見れますからねぇ
数年前に流行った「白熱教室」
マイケル・サンデルの「正義について語ろう(ジャスティス)」や
「現代の資本論」で有名なトマ・ピケティの授業も
ネットで普通に見ることができます。
最新の数学も
最新の宇宙論も
多くの授業がただで見れます。
そのどれもが面白いです。
知りたいことをいつでもどこでも自由に無料で学べる
教育の機会の平等こそが重要で、
本当の意味での知識植民地(知の独占)とは
この教育の機会が平等でないということなんじゃないかと
思います。
そういった意味で
現在ははっきり言って大学に行く必要もないように思います。
学ぼうと思えば、いくらでも学ぶことが可能です。
本当に良い時代です。
ただ、
親の経済力などで、
子供の教育格差が生まれている現在は
やはり改善していく必要があります。
しかし、
この問題は、また別の問題が関係していると思いますので、
次回、
知識植民地時代③「教育の目的」で
もう少し詳しく書きたいと思います。
おしまい。
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