資本主義は資本家による搾取が行われる社会だから、
それに対してのアンチテーゼとして
社会主義思想が登場しました。
現在、資本主義が格差拡大へ向かよう
デザインされていることは
トマ・ピケティ氏の「21世紀の資本論」によって、
完全に証明されてしまいました。
1917年。
ロシア革命が起きて、ソ連邦が誕生し、
世界中で社会主義運動が盛んに行われ、
中国をはじめいくつかの国が
社会主義国となりました。
しかし、
皆平等をうたった社会主義の国で何が起きたか、
ソ連ではシベリア送りで
多くの国民が粛清され、
中国では大躍進政策や文化大革命で
数千万人の国民が死にました。
カンボジアでは
ポルポトのクメール・ルージュによって、
国民の1/3が殺されました。
社会主義運動によって
国が、自国民を殺した数は
戦争で亡くなった人の数を
かなり大きく上回ります。
そして、そもそも、
平等をうたった社会主義世界では
平等は生まれず、
指導者は贅沢の限りを尽くし、
国民のほとんどは「平等に」貧しくなりました。
現に日本共産党の不破氏の自宅は
小学校数個分の敷地があり、
門をくぐって邸宅まで車で移動するほどの大きさで、
お抱えのコックまでいます。
平等をうたった社会主義は
実は平等はなく、自由もなくなります。
こういった制度の矛盾が露呈して、
結局ソ連邦は崩壊し、
中国は鄧小平の改革・解放によって
資本主義経済を導入しながら、
独裁をかろうじて維持しているにすぎません。
社会主義の決定的な間違いは
「人間は合理的生物ではない」という真理を
「理性によってコントロール」できると
錯覚してしまったところに
その問題の根底があるんだろうと
私は思います。
人間も動物であり、自然の一部です。
必ず「錯覚」を起こすように脳が作られています。
心(大脳)の中には一般的な理性が存在しながら、
悪魔のような暴力性と
天使のようなマザーテレサ的やさしい心も
「同時」に存在しています。
その時の状況や観測の仕方によって、
心の状態は天使にもなるし、悪魔にもなりえます。
「シュレーディンガーの猫」と同じように、
猫は死んでいるし、生きている。
人の心も同じ。
動物の本能や利他・利己的な心を否定したところに
社会主義の決定的な欠陥がある。
と私は思います。
映画「マトリックス」のなかで、
マトリックスを設計したアーキテクトが
最初に人間に与えた社会は
完璧な平等と平和、痛みや病気のない世界。
しかし、
人間の脳はそれを拒絶した。
だからアーキテクトは「選択」を与えた。
人間は時に不合理な選択をする生き物だからです。
「選択」を与えられた人間は
アーキテクトの作ったプログラムを受け入れ、
一部リアル世界であるザイオンに住む住人や
ネオを含むアノーマリーまでをも
コントロールすることに成功している。
資本主義が良いとは思いませんが、
社会主義よりはましです。
少なくとも、
資本主義の自由世界では
文字通り「自由」があります。
貧乏になるのも自由
お金持ちになるのも自由
どこに住むかも
何を仕事とするかも
基本的には全部自由です。
行き過ぎた自由主義も問題ですが、
「管理社会」によって
自由がなくなるよりは「まし」だと
私は考えます。
その上で、
行き過ぎた「自由」への抑制を
どのようにコントロールするのかと言う問題が
祭りごとである「政治」なんだろうと思います。
随想
久しぶりのザ・バイクマン日記
おしまい。