ガリレオもコペルニクス同様、地動説を唱えて
おりましたが、当時、プトレマイオスの天動説のほうが
キリスト教的には都合が良かったために
強く信じられておりました。
ガリレオは異端審問で有罪判決を受けたことは
あまりにも有名です。
コペルニクスは自らの地動説を
数学的見地からの見解とし、
さらに、自らの死後に
「天体の回転について」を出版するなど、
念には念を入れて、異端として迫害を受けないよう
注意を払っていたようです。
天動説が主流であった当時のキリスト教社会で
地動説を唱えるということは
それほどの覚悟がないとできない行動だったことが
ガリレオやコペルニクスの史実から考察されます。
しかし現代。
天動説を唱えている学者はもちろんおりませんし、
地動説を疑っている一般人もおりません。
科学的検証により、事実として
地動説が完全に確立しています。
地球は宇宙の中心ではなかったわけです。
人が何を信じるのか?
どんなに強い信念や社会の趨勢があっても、
「事実」はいずれ人に受け入れられ
ものの見方が180度ひっくり返った事例です。
大切なのは事実ということなんですね。
さて、今回から
さまざまな事例を挙げて
歴史を考えていきたいと思います。
日本人の歴史観の貧弱さにおいて、
以前のザ・バイクマン「日本の近代史」
http://www.thebikeman.jp/nikki/2013-04-04.html
日記でも書きましたが、
私自身も明治~の歴史はあまり勉強した記憶がありません。
「知らない」のです。
または教育されてこなかった、
といっても過言ではありません。
昨今の竹島や尖閣の問題や
靖国参拝問題などから
気になりだした日本の近代史なわけですが、
去年の4月くらいから、
少しずつ勉強して、
なんとなく全体が見えてきましたので、
私なりの見解を「事実」を交え
右でも左でもなく、できるだけ中立な立場で
書いていみたいなぁと思います。
おしまい。
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