今日も車検に向かう車の中で、 ラジオを聞いておりますと、
「夫婦別姓」について、 議論というか、 夫婦別姓賛成という立場の方が 2人でお話をしておりました。
苗字が変わることに対する抵抗感 苗字が変わることで仕事への悪影響 内縁関係でも普通の夫婦として法律で保護して欲しい 苗字が変わらない男性には 苗字が変わることの煩雑さがわからない。 などなど、
最もらしい意見を述べておりました。
しかし、
私の意見は違います。
上記は全て「自分」を中心にした考え方であって、
「子供」中心ではありませんし、 事実上9割が結婚すると男性の苗字を選んでいるとはいえ、
法律では、どちらの姓を名乗っても良い
ことになっています。
法律上は男女平等が保たれている。
ま、
法律云々という議論以前に
「自分中心」というのがまず間違いです。 「個の自由」こそが大切なんだという 完全に間違った判断なんだろうと私は思います。
結婚し子供を作る。
生物として子孫を残すことは 生れ出た命として、
最大の使命とも言って良い。
こんなこと言うと、 「子供を産まない自由もある!」 「子供を産めない人はどうするんだ!」 など
少数弱者の方々からバッシングがあるわけですが、 人類全体として、
子供を産む人 子供を産まない人 子供が産めない人 さまざまいるわけで、 10人産む人もいれば、
1人も生まない人もいる
というだけです。 しかし、 全体としては子供を産んで子孫を作るという行為は
長期に渡って継続しているわけです。
だからこそ、人類は70億人にまで増えました。
人間は1人では生きていけません。
何回も書いていますが、
人間は「集団社会」を作ったことで、 弱肉強食の自然界の中で繁栄してこれました。
強い筋肉や牙、強力な爪もない、 体を守る分厚い皮下脂肪もないひ弱な人間が、 弱肉強食の中で生き残ってこれたのは 集団社会を形成し、
協力し合ってきたからです。
「個人の自由」を最大限尊重し続けて行けば、 いずれ社会は崩壊し、
社会の崩壊と共に人類の繁栄も終焉を迎えます。
その意味で、 家族という集団の中で、 最も尊重されなければいけないのは
子供の命です。
社会を営む上で最も重視されなければいけない命は
自分の命ではなく、
「繋がる命」です。
夫の権利や妻の権利よりも 大切なことがある。 それは親から子へとつながる命。
子供のことを考えたら、 やはり法律的には夫婦同姓が 子供にとって最善です。 仕事上「通名」を使うのは問題ありません。
どうも夫婦別姓賛成論者の多くの方は 「自分の権利」を強く主張しすぎるように思います。
個人の自由を最大限主張しておきながら、 老後は集団で(年金で)社会に守ってもらいたいという
矛盾に気が付いていないと思います。
おしまい。
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