神奈川県大和市のバイク屋 ザ・バイクマン 中古バイク・バイクの整備・車検はお任せください

ザ・バイクマン日記
トップページザ・バイクマン日記2014/04/09
はじめての方に
会社概要
車検受付
修理受付
工賃表
引き上げ・納車
ザ・バイクマン日記
ギャラリー
今日のお客さま
中古車在庫
諸費用一覧
当社の整備内容
通信販売
お問い合わせ
地図
BBS
リンク
English
2014/04/09

前の日記を読む


次の日記を読む

日記トップへ
歴史⑥ 侵略とは2 
(植民地の実態②アメリカンインディアンと黒人奴隷編)
15世紀にコロンブスがアメリカ大陸を「発見」します。

コロンブスがしたことで多くの日本人が知っているのは
アメリカ大陸発見ということだけでしょう。

この歴史シリーズを書くにあたり、
世界各地の植民地の実態を調べるにつけ
もう、恐ろしくて恐ろしくて
書くこと自体が嫌になってしまうほどですが、
一回書くと決めたわけですから、
書かないわけにはいけません。


コロンブスは優秀な探検者であると同時に
奴隷商人でもありました。
アメリカ大陸を発見した時の彼の日記を
一部掲載します。

-----------------------------------
「私がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民(アラワク族インディアン)たちに、私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、私は力ずくで原住民の何人かを連行した。」
「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。 彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた。」
「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」
------------------------------------

しかし、彼の思惑は外れ、
誇り高いインディアンたちは決して奴隷にはなりませんでした。

役に立たないと思うと今度は大虐殺が始まります。
コロンブスと同行したキリスト教宣教師のバルトロメ・ラス・カサスの
手記にこう残っています。

------------------------------------
「一人でもインディアンが森にいたら、すぐに一隊を編成し、それを追いました。スペイン人が彼らを見つけたときはいつも、柵囲いのなかの羊のように、情け容赦なく彼らを虐殺しました。 『残虐である』ということは、スペイン人にとって当たり前の規則であって、それは『単に残虐なだけ』なのです。しかしそのように途方もなく残虐な、とにかく苛烈な取り扱いは、インディアンに対しては、自分たちを人間だとか、その一部だなどと金輪際思わせないよう、それを防ぐ方法になるでしょう。」
------------------------------------

コロンブスは金を探しに行くという命を
スペインから受けていましたので、
インディアンたちに金を差し出させます。
そして、
差し出した金の量が少ないと、
両手首を切り落としました。

コロンブスは優れた探検家ではありましたが、
その陰で略奪と搾取、大量虐殺も同時にしております。
この辺も教科書には全く載っておりません。

まぁ、ひどすぎて何も言えません。

さらに、スペイン人が持ち込んだ病気に対して
インディアンたちは全く耐性がなかったので、
病気によっても大量に死者を出し
スペイン人の虐殺と疫病によって人口は激減します。


インディアンたちの悲劇はまだまだ続きます。
1776年7月7日、アメリカ独立宣言により、
アメリカ合衆国が建国されます。

アメリカ東部に入植したイギリス人(のちにアメリカ人)は
開拓を西部に進めていきます。
「西部劇」などでよく見る
騎兵隊とインディアンの戦いは
文化的なアメリカ人と野蛮なインディアンの戦いとして
描かれておりますが、
もともと住んでいたインディアンの土地を
勝手に略奪し、虐殺し、隔離してきたのは
白人のほうですから、
どちらが野蛮か?なのは明白です。

イギリス人の取ったインディアンの政策は
オーストラリアの場合と全く同様
虐殺・隔離・人種的文明的根絶となり、
この辺は前回の日記
「植民地の実態①オーストラリア編」とかぶりますので、
http://thebikeman.jp/nikki/2014-04-04.html
割愛します。



一説には白人によるインディアンの虐殺は
上限で6000万人とも言われております。


前述のように、誇り高いインディアンたちは
決して奴隷にはなりませんでした。

アメリカに入植したイギリス人たちは
いちゃもんをつけて戦争を仕掛けたり、
嘘を言って、部族どうしで争わせたりを
繰り返していきました。

こうして、アメリカ大陸のインディアンの数は激減します。



しかし、入植した土地では
どうしても人手が必要ということで、
今度はアフリカから
黒人を奴隷として運ぶことにしました。

20人づつ鎖でつなぎ、
ぎゅうぎゅう詰になるまで大量に船にのでます。
船の中の衛生環境は大変悪く、
アフリカからアメリカに付くころには、
多くの死者を出しました。
また、
嵐で船を軽くする必要がある場合、
鎖でつながれたままの黒人を
そのまま海に投げ捨てた。

こうして多くの黒人がイギリス人の奴隷という形で
アメリカに入ってきます。

小さいころに
「トムソーヤの冒険」をアニメで見ておりましたが、
黒人の家政婦さんがいて、
大変仲良くやっているように描かれていました。
しかし、今思うと、あれはあくまで白人側から見た
描かれ方であることがわかります。


人の土地を勝手に奪い取り、
もともと住んでいた人たちを奴隷化しようとして、
ダメだとわかると虐殺し、
遠く離れたアフリカから黒人を強制的に連れてきて
奴隷として商品化する。


まぁ、自分勝手もこれくらい行くと、
あいた口が塞がりません。




今回のアメリカインディアンと黒人奴隷のお話以外にも
「インド植民地の実態」
「ポルトガル植民地の実態」
も別の日記で書く予定でしたが、

まぁ、とにかく酷いので、
今回の日記で植民地側からの
悲惨な実態はおしまいにしますが、

何個かその悲惨な実態をここに書きておきます。

現地の若者で優秀な人材が現れると
軍隊を派遣して強制的に連行し
両手首を切断した。

現地の女性を自由に乱暴してもよいという法律を作った

少しでも政治犯となりそうな人物がいると
強制連行し2畳ほどで
穴の開いたトイレだけがある牢屋にに裸で閉じ込めて
短時間で死に追いやった。

アフリカを植民地化していく過程で
ヨーロッパ内で紛争が起こり、
1885年にドイツ帝国のベルリンで
アフリカ分割会議(ベルリン会議)というのが行われます。
参加国は
イギリス
ドイツ帝国
オーストリア
ベルギー
デンマーク
スペイン
アメリカ合衆国
フランス
イタリア
オランダ
ポルトガル
ロシア帝国
スウェーデン
オスマン帝国
の14か国

アフリカに多くの人がすでに住んでいるのにもかかわらず、
その人たちは全く参加させず、
まぁ、ここからここまではお宅がやってくださいよ
ここからここまではうちがやっていきますよ
という感じの「会議」が
まことしやかに行われておりました。

            アフリカ分割会議の様子


俺のものはおれの物、
お前のものもおれの物

綺麗な会議場で正装をして
一見会議のように見えますが、
やっていることは、ジャイアン的ですね。

ここから見るに、
ヨーロッパ人には他人の土地を奪うという
観念自体がないとしか思えません。

自分たちが支配する土地と
まだ自分たちが支配していない未開の土地
という区別しかないことがわかります。




以上のように
植民地の悲惨な実態について
書き始めたら枚挙に暇がありません。


これ以上興味のある方は
ご自身で調べてみてください。

私的には書くのもうんざりです。





こうした話は、決して日本の教科書には乗りません。

陰謀なのかどうかは知りませんが、
やはり、こうした白人の暗い歴史は
アーリア人にとってもあまり知られたくない部分で
あることは確かです。
戦後の日本の教科書作りもGHQが深く関与していますので、
ま、自らの暗い歴史を積極的に載せようとは
しなかったはずです。

そうした流れを汲んだまま、
現在の教科書も作られています。

また、多くの歴史学者や研究者も
白人が整理した歴史を学びますので、
こうした暗い部分に触れないまま
白人にとっての歴史だけがが
広がっていくことになります。





ヨーロッパの科学・文化などは
大変すばらしく、見習うべき点が非常に多いし、
また、現在ヨーロッパは世界中で
人道政策を多く行っておりますが、
同時にこうした暗い過去も持っているんだ
ということを、決して忘れてはいけません。





ここ最近のザ・バイクマン日記を見ると
白人は悪である、みたいに書いていますが、
良い悪いを別にして、
歴史的事実としてこういった部分もあるのだ、
ということを、不勉強を反省するという意味で書いています。


人道的にどうのこうのと言うわけではなく、
アーリア人の習性としてのこうした部分があるんだ
ということです。




ちなみに、日本人もアイヌ民族に対して
まぁ、近からず、遠からず、似たような
政策をとっている時代もありました。


農耕をしていた和人と狩猟をしていたアイヌとの歴史も
暗い部分が多く残っています。

白人だけが悪いわけではありません。
自らにも目を向けると、
白人も日本人も
支配する側とされる側との間に
歴史的認識のズレがあることがわかります。


ということで植民地の実態としてはこれでおしまい。

ほんの150年ほど前の世界観といいますか
当時の世界的な植民地支配の流れと
日本の開国との関連性について
詳しく書いていきました。



次回からは明治維新以降の戦争の歴史を
書いていきたいと思います。


おしまい。




トップページザ・バイクマン日記2014/04/09
トップページ はじめての方に 当社の整備内容 会社概要 個人情報における基本方針
車検・点検・一般整備受 引き上げ・納車料金 工賃表 諸費用一覧 特定商取引法に基づく表示
お問い合わせ ザ・バイクマン日記 ギャラリー リンク English
神奈川県大和市のバイク屋 ザ・バイクマン 中古バイク・バイクの整備・車検はお任せください