さてさて、歴史シリーズの7回目。
前回までの歴史シリーズで書いてきたように、
江戸末期の世界は、
まぁ、細かいところを除けば、
中国の一部と日本を除いて
世界中が白人による侵略を受け
ヨーロッパ諸国の植民地となっておりました。
その流れで日本にペリーが来航し
日本国内では開港派と鎖国派に勢力が2分。
内戦になりかけますが、
坂本竜馬、西郷隆盛、伊藤博文など、
明治維新の偉人たちによって内戦を回避、
日本を一つにまとめ上げ開国し、
明治維新へとつながっていきました。
江戸幕府から明治政府となり、
日本は急速に近代化を進めます。
まず、なんといっても日本が確立したかったのは
「独立」です。
当時の世界情勢を考えれば、
小さな島国の日本は
いつ植民地となってもおかしくない状況です。
アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、ドイツなど、
西欧列強の国々が迫りくる状況でした。
実際に「眠れる獅子」とまで言われた清国が
アヘン戦争やアロー戦争に敗れ、
国の一部を取られています。
明治政府となった日本は独立を確保するために、
①軍閥の解体
②軍事力の近代化
③政治の近代化
を急速に進めていきます。
その過程で日清戦争が勃発するわけですが、
日清戦争は日本と中国の戦いと思われているわけですが、
清国は実は今の中国とは全く違う国であったということを
理解する必要があります。
ここは後の歴史を理解するうえで大変重要ですので、
まず、清という国がどういう国なのかということを
ここで触れておきたいと思います。。
結論から言うと
清国は中国ではない。
ということです。
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と思う人も多いと思います。
清国は満州国に住んでいた女真族(じょしんぞく)が
北京を攻め落とし、中国全土を支配してできた国です。
満州族も漢族も同じじゃないか?
と思われる方も多いと思いますが、
満州族と漢族は全く違う民族です。
満州族は狩猟民族
漢民族は農耕民族
習慣も言葉も全く違う民族です。
女真族が住んでいたのは朝鮮半島のちょっと上
中国の東北部、日本が満州国を建国したあたりです。
12世紀あたりに金という国を作って宋(中国)を
大分せめて勢力を拡大していた民族。
のちにモンゴルに攻められて金は滅亡しますが、
17世紀に入りバラバラになっていた勢力を
ヌルハチという人がまとめ上げ後金(こうきん)を建国、
明(中国)からの独立を宣言します。
その後、「後金」を「清」と国号を変えます。
その後、清は明の北京に攻め入り、
明の崇禎帝(すいていてい)が自害して明王朝は
終わりを迎え、清の時代が始まります。
清の初代皇帝となった順治帝(じゅんちてい)は
清国の3代目首長ということになります。
つまり、「明」という国に別の国の「清」が攻め入り
全土を支配した、ということです。
支配されることになった漢族は
満州族の慣習を強制されます。
まず髪型。
いわゆるラーメンマンの髪型。
辮髪(べんぱつ)といいますが、
いかにも中国らしい髪型として
思い浮かぶわけですが、
もともとは馬に乗って狩猟をするうえで
邪魔にならない髪型でもある
満州族の伝統的な髪型でした。
そして服装。
チャイナ・ドレス
これも中国らしい服装として思い浮かびますが、
漢民族のもともとの服装は日本のような着物でした。
これも狩猟をするうえで邪魔になりますので、
体にぴったりフィットするチャイナ・ドレスを強要したわけです。
中国のイメージが強い辮髪もチャイナ・ドレスも
もともとは狩猟民族であった満州族の伝統文化が
漢民族に強要され広がったものです。
こうして清は中華民国ができるまで
長い間中国を支配します。
清を支配する満州族はわずか数十万人で
かたや漢民族は3億を超えていました。
あまりにも数が少なく、また、その長い清の歴史の中で
徐々に満州族本来の文化や言語を忘れ、漢族の中に
溶け込んでいきました。
こうして、純粋な満州族は現在存在せず、
満州語を話せる人もほとんど残っていません。
清=中国というふうに
ほんの1年前まで私自身も思っていましたが、
よくよく調べてみると、
どうも、清という国は、
満州族が漢民族を支配していた国であって、
現在の中国とは違う、ということが分かります。
長く続く清王朝で政治が弱体化し、
先に挙げたアヘン戦争やアロー戦争で
白人の侵略を受け敗れ、
さらに日清戦争でも敗北します。
次第に、漢民族の支配が良いという運動が起こります。
自然の流れですね。
そこで登場するのが有名な孫文ですね。
いくつもの戦争に敗れた清は財政危機に陥ります。
この財政危機を回避するため
イギリス・アメリカ・ドイツ・フランスから
資金援助を受けるために民間の鉄道を国有化し、
借金の担保としようとしますが、。
これに抵抗した資本家や有力者たちが怒り暴動を起こします。
「辛亥革命」ですね。
これを契機に革命派が一気に立ち上がり、
短期間に14省もの省が清からの独立を宣言
孫文が臨時大統領となり、中華民国が成立することになります。
この清の歴史を知らないと、
日清戦争を理解することが難しくなりますので、
今日は清の歴史的な大きな流れを
ザックリと触れておきました。
「清」はいわゆる「中国」ではなかった。
ちょっと混乱しそうですが、
まぁ、そういうことです。
清の歴史を調べてみると
詳しくいろいろ出てきますので、
大きな流れだけここに書いておきました。
次回は日清戦争の原因についてです。
おしまい。
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