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2014/06/18

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歴史⑪ 日露戦争(戦い編)
さて、ちょっと休憩していた歴史シリーズの11回目

日露戦争の戦い編です。

ロシア帝国が進める南下政策で
当時清国であった遼東半島の旅順に203高地という
強固な陣地を勝手に作ります。

ロシアは念願の不凍港をようやく手に入れたわけですが、
さらに朝鮮半島を横切って、
釜山に軍港を作る計画を立てました。

日本の目と鼻の先に、
当時最強とうたわれていたロシア陸軍と
バルチック艦隊が来るわけですから、
釜山に軍港ができれば、
日本が植民地化されることは
火を見るより明らかでした。

ロシアの南下政策を警戒しているのは
日本だけではありませんでした。
当時アヘン戦争に勝利し、
清国に多大な利権を持っていたイギリスもまた
ロシアの南下政策を警戒しておりました。

日本とイギリスの利害関係が一致し、
日本とイギリスは日英同盟を結びます。

その後、日本は大国ロシアに宣戦を布告するわけです。

大国ロシアに戦いを挑むわけですが、
国力に圧倒的な差があるわけで、
消耗戦になれば、
日本に勝ち目は全くありません。

日本は短期で初戦に勝利し、
すぐに講和へ持ち込むという作戦でした。

当時日本はお金がありませんでしたから、
国債を売って外貨を得なければならなかったり、
開戦直後から伊藤博文などが中心になり、
アメリカに仲裁に立ってもらうべく
終戦への道筋を立てます。


短期で決着が付かなかった場合、
日本が敗戦する可能性がかなり高い。

世界も日本が負けるであろうというのが、
多大の見方でした。


日本国債が売れなかったら日本の負け
初戦に負ければ、日本の負け、
終戦への歯車が1つでもかければ、日本の負け、

負ける原因はいくつもあった。


まず日本はロシアが支配した旅順を叩きに行きます。

守るロシア
攻める日本。

ロシアはすでに203高地に強固な要塞を
建設しています。
ここに攻め込むわけですから、
通常はロシアの3倍の兵力がなければ
攻め落とすことはできません。
しかし、お金も人も不足していた日本側は
総動員数はわずか30万人
対するロシア側は50万人でした。

完全に不利な戦いだったわけですが
甚大な被害を出しながら乃木将軍の活躍により
旅順の戦い、奉天の戦い
ともに勝利します。

日本側 戦死戦傷者6万人
ロシア側 戦死戦傷者3万人

ロシアの2倍の死者を出したわけですが、
どんなに死んでも日本軍はあきらめずに
203高地を落とします。

もし、ここで、乃木将軍が兵を引いていれば、
日露戦争に日本は負けていたでしょう。
乃木将軍はこの戦争で自分の息子2人を
亡くしています。
自らの息子2人が戦死しても、
6万人が死んでも、
203高地を必ず落とさなければ、
日本が負ける。
乃木将軍はそれをはっきりと認識しておりました。

後にロシアは乃木将軍との戦いを恐れ、
奉天の戦いで逃げだした形跡すらあります。

ロシア軍の2倍の戦死者を出して
何とか203高地を落とし、
後に来る世界最強の艦隊である
バルチック艦隊を迎え撃ちます。
ここでも連合艦隊総合司令官
東郷平八郎らの活躍により、
これをあっけなく打ち砕きました。


当時の日本の国家予算は2億5千万円。
外貨をムリクリ用意したのと合わせて
日本は18億円の戦費を用意していたわけですが、
この初戦の戦いで15億円を使います。

もう日本には戦う予算がありません。

しかし、
ここでアメリカのルーズベルト大統領に
仲裁役を買ってもらうために動いていた作戦が
功を奏します。

また、ロシアロマノフ王朝が衰退していたことも、
ロシアが日本との戦争を諦める原因となり、
日本とロシアは講和を果たします。
(ポーツマス条約)


こうして日本は短期決戦でロシアに判定勝ちをします。

判定勝ちとはいっても、
日本の戦争目的てある
遼東半島からロシアを追い出す、という
目的は達成できたわけですから、
日本の完全なる勝利といってもいいでしょう。


さて、この日露戦争での日本の勝利は
後の世界史に大きく影響していきます。

なんといっても
日露戦争は
「有色人種がアーリア人に勝利した
人類史上はじめての近代戦争」だったからです。

この当時の世界を見てみると、
何回もこの日記でも書いてきたように、
地球の陸地面積のほとんどを白人が支配し、
大多数の有色人種の国は、
植民地化されるか、大量虐殺されるか
奴隷のような扱いを受けていたわけです。
どんなに戦っても、有色人種は白人(アーリア人)に
勝つことができませんでした。

有色人種の完全な主権国家は全世界で
日本・トルコ・シャム(現在のタイ)・エチオピアの
たったの4か国だけ、という
異常な世界でした。
(中国は半分以上植民地化されていましたので、
ここでは除きます)
そんななか、
小国日本がアーリア人の大国ロシアと戦って
判定勝ちとはいえ、勝利を収めたことは、
有色人種の国々が
アーリア人の支配を離れ、
独立を回復していく最大の歴史的契機となりました。






この当時帝国主義のダントツトップを走っていた
イギリス・フランス
そのすぐ後方にいたロシア・ドイツ
はるか後方にアメリカという順位でしたが、
ロシアは日本との戦いに敗れ、
ロマノフ王朝は衰退の一途をたどり、
ロシア革命と合わさって
社会主義のソビエト連邦共和国が建国され、
帝国主義レースから脱落していきます。



ロシアとの戦いに勝利した日本は
植民地支配という最悪の状況を
ギリギリのところで回避することができた。

また、日清戦争・日露戦争の勝利により、
完全な独立を維持することに成功しました。

この2つの戦いにより、
「どうも日本は簡単には攻め落とせない」
ということが確定し、
日本は大国の「仲間」という立ち位置を獲得します。

つまり
帝国主義のトップイギリス
2位フランス
3位ドイツ
4位アメリカ
5位日本

世界5大国の1員となったわけです。



西欧列強の植民地支配の脅威により、
明治維新からはじまった、
日本の独立を確立する戦いは
1867年の大政奉還から
1905年、日露戦争に勝利するまで、
40年以上たって、ようやく確定しました。


これで一旦、日本を植民地化しようという
アーリア人の動きは後退していきます。
アメリカも一旦、まぁ、しょうがないなという感じで
引きますが、
後にまた攻め込んできます。



大国の1員となった日本は
その後、どのような政策をとっていくことになるのか?

次回からは
「大国の政策」編へと続きます。


おしまい。



追記
5大国の1員になるのは
第一次世界大戦の後でした…





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