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2014/06/19

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歴史⑫ 日露戦争の影響
さてさて、歴史シリーズの12回目。

「大国の政策」の前に、
番外編として、日露戦争がもたらした影響について、
少し詳しく書いておきたいと思います。

世界中を席巻した白人支配は
400年以上にわたり続いてわけですが、
この日露戦争によって
世界の歴史は大きく動き始めました。

その影響は国内だけにとどまらず、
世界中に広がっていきます。

まず、国内への影響を見てみますと、
1 国民の不満
2 政府・軍部の自信
と、大きく2つあると思います。

まず1国民の不満。

戦争に勝ったのに不満??と思うかもしれませんが、
不満の原因は
日本国民にとっては不満足な内容でロシアと講和した
その内容にありました。

ポーツマス条約の内容とみてみますと
①ロシアの満州・朝鮮からの撤兵
②樺太南部を日本に割譲
③戦争賠償金には一切応じない

という3点でした。

日本人の不満はもちろん③です。

日露戦争当時のロシアの国力は日本のおよそ10倍。
ロシアとしては初戦には敗れはしたが、
戦争を継続する国力を十分に持っておりました。

一方、日本は国家予算の7倍以上の戦費を
費やして戦争をしておりました。
日本がロシアの植民地となるくらいなら、
戦争して独立を保とうじゃないか!と
政府・軍部・国民が一致団結して
戦争資金を集めました。
国民は戦争のために、高い税金を払うことになるわけですが、
戦争に勝ちさえすれば、
戦争賠償金が入ってくるに違いない。
と、国民はもとより、政府も軍部も、
そう思っていたはずです。

現に、日清戦争のときは
日本は清から3億円の戦争賠償金を受け取っています。

当然、日露戦争でも
勝利すれば、多額の戦争賠償金を取れる、と
思っていたわけです。

ところが、

ロシアは一切賠償金を払わないという形で
ポーツマス条約が結ばれたわけです。

日本としては、これ以上戦争を続けると
国力の差で敗戦する可能性がかなり高まる。

ロシアは王朝の衰退はあったとはいえ、
まだまだ戦争を続けることができました。

仲裁に入ったアメリカとしては
出遅れた植民地支配の帝国レースで
少しでも影響力を示したいという希望がありましたから
ここで日本とロシアの講和を成功させたい。

3か国のそれぞれの思惑の中で、
日本は戦争賠償金の支払いをロシアに求めることを
諦めた、というか、できなかった。

もし、日本が戦争賠償金の支払いを
ロシアに強く求めていたとしたら、
ポーツマス条約締結はできず、
日露戦争は継続し、初戦の勝利とは裏腹に、
日本は敗戦へと向かっていたに違いありません。

日本は「勝利した」という対面を
保つことはできたわけですが、
戦争賠償金の支払いを
ロシアに求めるこはできなかったわけです。


多額の税金を払って戦争に協力した国民は
当然不満が高まります。
その結果、ポーツマス条約締結に反対する国民集会が起き、
日比谷焼打ち事件などが起こったほどです。


しかし、結局ポーツマス条約は締結し、
日本はロシアと講和。
満州と朝鮮からロシアを追い払い、
樺太南部を取るということはできましたが、
国民には不満の残る形で戦争は終わりました。


2 政府・軍部の自信

明治維新以来、日本の念願であった「独立」ということを
明治維新いらい40年以上たって、ようやく確立することが
できましたのが日露戦争でした。

もうこれでロシアの脅威はありません。
中国も日清戦争でやっつけたので、問題ない。
アメリカもこの時は一旦引いていきます。
日本はようやく、アーリア人からの完全な独立を
軍事的に勝ち取ったわけです。


世界中に広まった白人による植民地支配から、
世界で唯一、軍事的に独立を確保したのは
世界では日本たった一か国だけです。

日清戦争・日露戦争を経て、
日本もイギリスやフランス・ドイツ・アメリカのように
列強の1部に入れるんだ、という機運が
政府にも軍部にも国民にも出てきた。

日本も西洋列強と肩を並べていけるんだ。という
機運が高まってきました。




つづいて、国外への影響ですが、

なんといっても400年以上続いた
アーリア人の支配の中で、
東洋の小国日本がアーリア人の大国ロシアに
勝っちゃったものですから、
世の中はひっくり変えるわけです。

東洋の小国で有色人種の国が
軍事的に完全に独立を確定したわけですから、
白人社会は驚愕したことと思います。
なんせ、この400年間、
白人は有色人種に負けたことが
1回もなかったわけですから、
その衝撃はその後の白人による植民地支配に
大きく影響していくこととなります。


この400年間。
有色人種はどんなに頑張っても白人に勝てなかった。
スペインとポルトガルが世界を支配し、
後にイギリス・フランス・ドイツ・ロシア・アメリカが世界に君臨した、
原住民の多くは虐殺されるか奴隷になるか、
はたまた植民地支配され略奪と搾取の中にいた。
多くの有色人種が苦悩の中、
あるものは崖から銃で脅され泣きながら飛び降りて死に、
裸のまま手錠をかけられ、牢屋に入れられて餓死した。
無理やり乱暴されハーフの子供を産まされた。
子供を奪われ拉致監禁され、
人種的・文化的な根絶が強制された。
しかし、どんなに戦っても、
有色人種は白人に勝つことができなかった。

諦めに近い形でアーリア人の支配に甘んじているという
状況が400年に渡り続いてきたわけですが、
そんな中、
日本という小国がアーリア人の大国ロシアに軍事的に
勝利したということは、
多くの有色人種の魂に勇気を与える結果となりました。

また、白人もおおっぴらに植民地支配を拡大することが
困難になってきたと認識し始めるわけです。


日露戦争の後、
すぐに独立運動が盛んになるわけではありませんが、
少なくとも、「俺たちにもやれるんだ!」という
機運が有色人種の国で起こったことは間違いありません。



日露戦争で日本が勝利したことは
今後の戦争にも大きな影響を及ぼしていきます。


日本は多少の不満も抱えてはいましたが、
その後、大正の文化が花開いていきます。


しかし、つかの間の平和も
たった9年ほどしか続きませんでした。

日露戦争が終わったのが1905年
そのたった9年後の1914年、
人類史上初の総力戦である
第一次世界大戦が勃発し
日本はその戦争に巻き込まれていきます。



ちなみに日露戦争までの戦争は
地域限定の限定戦が主流でした。
日露戦争の時に
日本はモスクワまで攻め上がっていく気は
全くありませんでしたし、
まぁ、ロシアも東京まで攻め込んでくるということも
おそらくなかったと思います。

ある地域での戦闘の勝敗によって、
お互いの国が歩み寄り講和するという
いわゆる限定戦の時代だったわけです。

国を挙げて総力戦で挑むという
第一次世界大戦は
人類史上初めての経験となります。

そのきっかけは
日本から遠く離れオーストリア=ハンガリー皇帝の
皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫婦が
暗殺されるというサラエボ事件でした。


この事件をきっかけに
ヨーロッパ各国は瞬く間に戦争を始め、
日本もこの戦争に巻き込まれていきます。


ということで次回は
第一次世界大戦への参戦です。

おしまい。

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