さて、歴史シリーズも19回目となりまして、
いよいよ日本とアメリカの戦争が始まります。
1941年12月8日。
日本はハワイ・オアフ島にあるアメリカ海軍太平洋艦隊の基地に
奇襲攻撃を始めたことで武力による戦争が始まります。
誰でも知っている真珠湾攻撃です。
ここで私が「武力による戦争」と
わざわざ書いたのは重要な意味がありまして、
だいたいの人は戦争というと、
武力によって他国を攻撃する
もしくは武力によって自国を防衛する
ということだけ、
と思っている人が多いかもしれません。
「武力で人を殺害する」
これが戦争と言えば、
戦争そのものではありますが、
それはあくまで狭義の意味での戦争行為だと思います。
戦争とは何も武力によらない攻撃もあるわけです。
武力によらなくても、人を殺害することは可能です。
例えば、
日本の食料自給率は
農林水産省の統計によると
カロリーベースでわずか41パーセントなわけですが、
もし、完全に食料が輸入できなくなると、
実に国民の59パーセントは餓死することに
なってしまいます。
日本の人口は約1億2700万人くらいですから、
その59パーセントなると
7500万人が餓死することになるわけです。
ま、実際には食料を分け合ったり、
配給などが始まるでしょうから、
7500万人も餓死するとは思いませんが、
それでも、相当多くの国民が
実際に餓死することになるわけです。
敵対する国が
もし日本に対する食糧完全禁輸をしたとしると、
それだけで、多くの餓死者が出ることになります。
いわゆる兵糧攻めというやつですが、
武力によらなくても、
他国の国民を殺害することは可能なわけです。
現代流にいうと
それは経済制裁です。
自然と完全に一体化し、
自給自足の部族社会を形成している
他国との貿易がなくても生きていける国や
江戸時代のような経済規模で
完全に鎖国を実行することがでる国は別にして、
国中に車が走り、道路が引かれ
鉄道が引かれているような
ある程度発展した国というのは
国際社会の中で孤立すると生きてはいけません。
行き過ぎた経済制裁というのは
それはもう宣戦布告と同じで、
広義の意味では戦争行為そのものと
言うことができます。
ほとんどの日本人は
日本がアメリカに戦争を仕掛けたと
思っていると思います。
私もほんの数年前までそう思っていましたし、
実際に武力攻撃を仕掛けたのは
真珠湾の奇襲攻撃をみればわかるように
日本が最初です。
しかし、
なぜ、日本がアメリカを武力攻撃したのか?
深く考えたことがありませんでした。
1941年当時の日本とアメリカの国力を考えても、
アメリカのほうが圧倒的に大きいわけですから、
もし、アメリカと戦争をして総力戦にでもなれば、
国力の差で、
日本は負ける可能性が非常に高いわけです。
ま、実際に日本は戦争に徹底的に負けましたが、
圧倒的国力の差があったアメリカに
日本はなぜ武力攻撃を仕掛けたのか?
その具体的な理由を考えたことは
私は「一回」もありませんでした。
意外に思われる人もいるかもしれませんが、
よくよく調べ考察してみると
最初に戦争を仕掛けてきたのはアメリカという
結論に達します。
日本は戦争という手段でしか国を守れないほど
アメリカ・イギリス・を中心にた
アーリア人に徹底的に追い詰められるわけです。
何回もこの日記で書いているので
もう十分かもしれませんが、
1941年当時の世界地図を見てみますと
地球上のほとんどの陸地は
白人による植民地支配を受けておりました。
エチオピアを除くアフリカ全土
北米大陸全土
南米大陸全土
オーストラリア
ニュージーランド
シャム(現在のタイ)を除くアジア地域全土。
中国の半分
白人が支配していない土地は
そう結う意味で日本と中国の半分だけ
という何とも異常な世界でした。
白人側から見れば、
今まで世界を順調に支配してきたのに、
日本だけが武力によって
完璧に独立を確保してしまったものですから、
相当イライラしていたはずです。
白人としては、なんとかして、
日本と中国全土も支配下に置いておきたい。
そのためにはまず現地人同士を戦わせ消耗させます。
つまり日本と中国が戦争をし、
消耗戦をすればするほど、
後に日本と中国に入っていきたい白人社会からすると、
大変有効ということになるわけです。
このやり方は
インドで現地人同士を争われたり、
インディアン同士をだまして争われたり、
白人が良く使う手です。
まず、日本と中国を戦争するように仕向けます。
結果日中戦争は実際い起こりました。
辛亥革命で清から中華民国となったばかりの中国は
三国時代にも似た混乱した状況下でしたから、
日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦
全てに勝利していた日本と比較すると、
圧倒的な国力の差がありました。
中国は日本が明治維新を起こした100年遅れて
ようやく王朝政治から自由主義の近代国家へと
生まれ変わったばかりなわけですから、
普通に考えて、日本と中国が戦争をすれば、
中国は負ける可能性が高いわけです。
それでも蒋介石は日本に戦争を挑んできました。
(前回の日記参照ください)
日中戦争を陰で援助していたのは
アメリカ・イギリス・オランダ・ドイツ・チェコということになります。
援蒋ルートを使って、
蒋介石を応援するために、
武器・弾薬などを提供しいました。
圧倒的に日本が強かったわけですが、
アーリア諸国の援助によって
日本は予想よりも大きく消耗しました。
そんな中、
アメリカは独自に日本に攻め入る
準備を始めます。
日中戦争勃発の2年後、
1939年7月、
アメリカは日米通商航海条約を一方的に破棄し
日本と敵対関係となった上で
太平洋艦隊の増強を始め
太平洋の軍事的支配を徹底します。
その後、鉄の禁輸、石油の禁輸と
経済制裁を次々とかけてきます。
そして最終的に
1941年8月、
アメリカは石油の対日全面禁輸を決定しました。
当時の日本の石油備蓄は7か月分。
石油が入ってこなければ、
日常生活で灯油やガソリンが使えないばかりか、
7か月後には軍艦も戦闘機も動かせなってしまいます。
そうしたらどうなるか?
明治維新以来
一生懸命努力して
世界で唯一完璧に白人からの独立を確保してきたのに、
また再び日本の独立が危ぶまれることになってしまいます。
7か月たって、
軍艦も戦闘機も動かないようになったら、
日本は攻められ放題、やられ放題。
白人が支配した多くの植民地と同じように
日本も簡単に植民地となってしまいます。
現在の考えからすると、
他国を武力で侵略し植民地化することは
あり得ない非人道的な考えですが、
1940年代の世界は
それが当たり前の世界でした。
日本は何とかして石油を確保しなければ、
植民地となる可能性が急激に高まります。
そして1941年12月、
石油の完全禁輸が始まってから4か月後
追い詰められた日本は真珠湾攻撃を行います。
アメリカがなぜ日本を取りに来たのか?
もっと大きく、アーリア人がなぜ、
全世界を植民地化しようとしたのか?
特段な理由は全くありません。
「支配したいから」というだけです。
日本はアメリカ本土はもちろん、
ハワイに攻め入る理由はどこにもありませんでしたし、
その計画も全くありませんでした。
日本は完全に独立を確保し、
朝鮮半島と満州国、南洋諸島という
一定の経済圏も持っていました。
非常に安定した成長もありましたし、
これ以上支配地を増やす必要は全くありませんでした。
アメリカの石油対日全面禁輸を解いてもらうために
何をすればよい言うのででしょう?
例えば、日本が既にアメリカ本土を攻めていたのなら
攻撃をやめれば、禁輸を解くかもしれませんが、
禁輸をかけた時は
アメリカに攻め込んでいたわけではありません。
アメリカは全く何の被害も受けていないのに、
石油の全面禁輸をかけてきたわけです。
なぜ何の被害も受けていないのに、
日本に対して、石油の全面禁輸をする必要があるのか?
世界でアーリア人が支配していない
残された地球上最後の土地、
日本と中国の半分を
支配したかったから、
ただただそれだけです。
アメリカは国土も大きいし、資源も食料も豊富です。
外部に出ていく必要がないのに、
太平洋のハワイまで取りました。
そこまで支配地を拡大する理由は
どこにもありませんが、
なぜかアメリカは西進活動を止めません。
太平洋を挟んだ遠く離れた日本や中国を
なぜ取りに来たのか?
それはアーリア人の支配欲以外の
なにものでもありません。
人口が多く、食料も不足し、資源もない、
他国をどうしても支配しなければならない、
または、影響下におかなければならない、
切実な理由がどこかにあるのなら、
まだわからないでもないですが、
他国を支配しなければならない
切実な理由がどこにもないのに、
アーリア人は世界中を支配したわけです。
アボリジニの多くの人が
インディアンの多くの人が殺さる
白人側の切迫した理由を説明できる人は
どこにもいません。
支配したかったから、支配した。
ここには強く宗教が関係していると思われますが、
この辺も後に詳しく書いてみたいと思います。
ともあれ、
1941年、日本は徹底的にアメリカに追い詰められます。
このように、アメリカのルーズベルト大統領は
日本に対して徹底的な挑発をしてきたわけです。
ところが、
ルーズベルトは反戦をうたって
大統領選挙に臨んでおります。、
しかし、
ルーズベルトが「反戦」と言っていたのは
狭義の意味での戦争であって、
広義の意味での戦争ではありませんでした。
実際に、
「宣戦布告することなしに、
私は戦争をすることができる」と
自らも語っております。
ルーズベルトは最初から日本と戦争する気でしたので、
日米通商航海条約を破棄し
太平洋艦隊の増強をし、
石油の対日全面禁輸をし
日本が自ら戦争するように仕掛けたわけです。
ルーズベルトの1つ前のフーバー大統領は
日本に対する多大な経済制裁は
宣戦布告と同じであると主張しておりましたが
その意見は戦後70年以上隠ぺいされ、
封印されておりました。
フーバー大統領の回想録
「Freedam Betrayed」(裏切られた自由)
は戦後70年以上たってようやく刊行されたわけですが、
ここには、大東亜戦争の歴史を大きな書き換えを迫る
重大な記録が多く含まれています。
この本の中で
フーバー元大統領は
「私は、ダクラス・マッカーサー大将と(1946年)5月4日の夕方に3時間、5日の夕方に1時間、そして、6日の朝に1時間、2人で話した。(中略)
私が、日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であったと述べたことろ、マッカーサーも同意して、、また、1941年7月の経済制裁は、挑発的であったばかりでなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても、戦争せざるを得ない状態に日本を追い込んだ。制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するものであり、いかなる国といえども、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかった」
と言っております。
また、
「ルーズベルトが犯した重大な誤りは、1941年7月、つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となった1か月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三にわたって、そんな挑発をすれば、遅かれ早かれ(日本が)報復のために戦争を引き起こすことになると警告を受けていた。」
とつづっております。
マッカーサー自身も戦後アメリカ議会で
日本の戦争は「安全保障」のための自衛戦争であったと
証言しております。
マッカーサーは1国の1大将ですが、
フーバーの発言は元アメリカ大統領ということで
多大な影響力がありますので、
この主張は戦後70年、
フーバーの死後47年間、
完全に封印されたわけです。
日米の戦争がアメリカの挑発によって
引き起こされたことは
今でははっきりとわかります。
明治維新以降の日本の戦争で
①日清戦争=独立確保の自衛戦争
②日露戦争=独立確保の自衛戦争
③第一次世界大戦=国際条約上の参戦
④満州国紺国=ラストエンペラー溥儀の援助要請
⑤日中戦争=中華民国からの戦争行為
⑥大東亜戦争=アメリカの挑発
ということになります。
こう考えると
日本から仕掛けた戦争はどこにもありません。
全て受け身の戦争です。
「他国を武力によって侵略した軍国主義日本」
などどこにもありません。
私が日本が軍国主義であったことなど
一度もない、という理由が
一連の歴史シリーズを見れば、
良くわかると思います。
東南アジアの国々に軍隊を送っているじゃないか!
と反論される人もいるかもしれませんが、
日本が戦ったのは
アジア地域を植民地支配していた白人です。
現地民と戦うために軍隊を送ったわけではありません。
日本がなぜ真珠湾を攻撃したのか?
なぜ東南アジアの国々にいる白人と戦ったのか?
次回は「歴史⑳ 大東亜戦争2 日本の狙い」に続きます。
おしまい。
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