イワシボールは見てて大変壮大ですし、
また、大変不思議でもあります。
外側の外円にいるイワシと
その反対側の外円にいるイワシと、
どうやって位置関係を判断しているのか?
全く持ってわかっていません。
しかし、何らかの情報伝達が行われない限り、
整った丸い塊を形成することは出来ません。
1匹1匹のイワシはそれぞれの意思があるはずですが、
何千匹の集団となると、
まるで1つの生命体のような動きを見せるから
本当に不思議です。
さて、
ここからは人間の話です。
私個人には私の意思が存在します。
しかし、
結婚すると、
2人で1つの共同体を作ります。
2人で1つの生命体のように
お互いに協力し合って家計をやりくりします。
イワシとは違いますが、
まるで2人で1人の生命体のような動きになります。
子供が生まれると、
家族で1つの生命体のように感じるようになります。
家族を守るためには
地域の安全が必要です。
地域の安定のためには
地方治自体の安定が大切です。
地方治自体の安定のためには
国家の安定が必要です。
こうして考えていくと、
私個人には私個人の意識がありますが、
日本人としての、
集団としての意識もまた同時に存在しています。
お父さんが家族と日本を守るために戦争に行って死ねるのは
きっとこの感覚がそうさせるのだと思います。
日露戦争の時、
203高地で突撃に次ぐ突撃を繰り返し、
多大な犠牲を出しましたが、
死ぬとわかっていてトーチカに向かっていけるのは
日本を守りたい、家族を守りたいとする
集団の意思だったのだろうと思います。
特攻隊となって自らの命を犠牲にできるのも、
この集団としての意識があったからではないか
と思います。
イワシにしても人間にしても、
集団を作らなければ、生きていけません。
イワシは1匹だったらすぐにほかの魚に食べられちゃいますし、
人間が1人だけだったら、
間違いなくすぐに死んでしまうでしょう。
北海道に住む見知らぬ人と、
沖縄に住む見知らぬ人との間に
光のスピードを超えて、
瞬間に伝わる情報伝達手段はまだ見つかっていませんが、
人間がまだ発見していない
何らの通信手段があるのは
イワシボールの形成手段から推察ができます。
量子論の世界では
既に光のスピードを超えた通信が存在していることが
証明されていますから、
動物が集団をなした時の
集団としてのまとまった意識というのも、
いずれ証明されるときが来るかもしれません。
ということで、
今回はここまで。
次回は「個人と集団」②
新自由主義にみられる個人主義の矛盾
を書いてみたいと思います。
おしまい。