ルーズベルトはスターリンに対して
ドイツ降伏の3か月後に日ソ不可侵条約を破棄して
日本に攻め入るよう要請していました。
その見返りとして
千島列島と南樺太の領有をソ連に約束。
いわゆる密約を結びました。
1945年5月7日にドイツが降伏していますので、
まさにその3か月後、8月9日にソ連は
日ソ不可侵条約を破棄して日本に侵攻してきました。
思うに、
長崎の原爆投下と合わせて侵攻しることも
密約で決まっていたと思われます。
同年8月14日、日本はポツダム宣言を受託。
同年8月15日、玉音放送で日本国民は敗戦を知った。
しかしソ連は、日本がポツダム宣言を受託して、
無条件降伏をしたことを知っていながら、
さらに侵攻を続けました。
8月18日深夜。占守島(シュムシュ島)に
突如としてソ連が攻め入ります。
占守島の場所はここ↓
戦争が終わって、やっと家に帰ることができると
思っていた矢先。
突如として大砲の音が響き渡り、
次々とソ連軍が占守島に上陸。
占守島の守備隊は北海道にある本部に打診。
北海道の本部にいたのは
満州でユダヤ人2万人を救ったとされる
あの樋口季一郎中将でした。
「戦争に負けたとはいえ、
どこの国かもわからない軍隊が攻めてきたのなら、
断固撃退すべし」
独断で反撃を指示。
樋口は敗戦が濃厚となった時から
ソ連が攻めてくることをわかっていました。
玉音放送を聞いたとき
彼は涙一つ流さず、
「これからが日本を守る本当の戦いだ」と
つぶやいたと言われております。
樋口喜一郎の孫がそのことを証言しております。
必ずソビエトが攻めてくる。
そのために、事前に占守島に
精鋭部隊を集結させておりました。
占守島を守る精鋭部隊を率いる池田末男少将は
ソ連の進行を完全阻止。
絶大な損害をソ連に与えた。
日本側の被害600名
ソ連側3000名
完膚なきまでにソ連を叩きのめしたが、
池田小将はこの戦いで命を落とした。
ソ連は1日で占守島を落とし、
千島列島を南下し、
1週間で北海道を占領する計画でした。
しかし、樋口季一郎の英断と
池田末男率いる守備隊の戦いで
それを完膚なきまでに阻止。
もし、戦後のどさくさに紛れて
ソ連が北海道に侵攻していれば、
日本も東西ドイツや南北朝鮮のように、
分割統治されていたことは
否定できません。
4分割案は確かに存在しておりました(図参照)
朝鮮戦争の舞台は
日本だったのかもしれません。
もし、あの時
樋口季一郎の英断がなければ、
池田末男の勇敢な戦いがなければ、
本当に日本は分割統治されていたかもしれません。
戦後スターリンが自国民に何をしたかを鑑みれば、
樋口季一郎の英断と池田末男の戦いによって、
多くの日本人の命が救われたことが
良くわかります。
それらを考えると、
どれだけ国を守るために
命をかけて戦ってくれた人がいて、
そのおかげで、
今の平和があり、日本国があり、
われわれの人生があるのかを
改めて思い知らされます。
今の日本が日本国としてあることに
ただひたすらに感謝です。
8月はいろいろなことを考えさせられます
おしまい。