さて、さて、なかなか書く時間が取れず、
歴史シリーズが書けませんが、
今日はやっと2回目。
1回目(歴史①「コペルニクス」)は下記
http://thebikeman.jp/nikki/2014-01-30.html
今日は日本の学校教育。
特に歴史に関しての教育についてです。
まず、私を含めて多くの日本人は
普通に歴史を習います。
小・中・高の義務教育
文系に進んだ人は大学でも
歴史を勉強すると思いますが、
ここでは一般的に義務教育の中での
歴史教育に的を絞りたいと思います。
受験勉強はもう2度としたくはありませんが、
歴史の勉強に多くの時間を費やしたものです。
高校3年生の夏休みに図書館に勉強しに行って
さて本格的に歴史の勉強をスタートさせました。
ま、縄文・弥生あたりから始めます。
隣の席で勉強している人も受験生らしく、
同じく歴史の勉強をしておりました。
ちょとっと覗き込むと江戸末期・明治維新あたりを
勉強しているところでした。
「いやー、俺はまだ縦穴式住居かぁ・・・
先の長い話だぜ」
片や鉄砲でドンパチやっている横で
アウストラピテクスだの北京原人などのページを
ごそごそとしている私。
気が遠くなってぶっ倒れそうになりました。
ははは、懐かしい思い出です。
さてどんどん勉強を続けまして
冬頃にようやく明治・大正・昭和あたりに取り掛かりました。
いやー、ぜんぜん間に合いそうにありません。
あきらめてしまいそうになりながら勉強をしましたが、
教科書も参考書も近代史になると
ページ数がガクッと減り、
トントン拍子に勉強が進みます。
明らかに江戸以前の歴史と比べて
力の入り方が違っていました。
ページ数が全然少ない。
トントン拍子で日本史の勉強が進みます。
ま、なんとか一通り歴史の勉強にかたがついたころは
受験前のギリギリになってしまいました。
もし、近代史の教育が江戸以前と同じ分量であったら、
おそらく受験に間に合わなかったと思います。
ま、そんな感じの勉強でしたが、
当時の私の理解は
日本の近代史はいわゆる侵略の歴史であるから
日本政府も積極的に教育していない。
または、
歴史問題の観点から、意見が大きく分かれているので、
当時の文部省(今は文科省)の方針自体が
あやふやであるのかもしれない。
とまぁ、そんなレベルの理解でした。
おそらく、多くの方も私同様の理解であると思います。
積極的に近代史を教育していないという学校教育が原因で
昨今のさまざまな歴史問題がややこしくなっている
という側面があるのだと思います。
中国や韓国に歴史問題でやいのやいの言われても
否定も肯定もできませんから
いわれるがまま、受け入れざるを得ません。
これからのグローバル社会において、
若者が自国の歴史に疎いというのは
決してプラスにはなりません。
ということで、今日からは近代史を中心に
お話を進めていきたいと思います。
まず日本、江戸時代から。
諸説ありますが、まぁ一般的には
徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利した1600年に始まり、
徳川慶喜が大政奉還を明治天皇に上奏した1867年まで
260年以上にわたり江戸時代が続きます。
ご存知のようにオランダを除いて、
江戸時代は長い間鎖国していたわけですが、
近代的な武装を携えてペリーが来航し、
日本は開国を迫られます。
また、長く続いた江戸幕府も衰退しておりましたから
時代が一気に動き明治維新へとつながっていきました。
日本史だけを見ると、
教科書に載っていることは
ものすごくザックリ言ってこうした流れとなっています。
しかし、
江戸時代末期の世界に目を向けると
今では考えられないとんでもないことになっておりました。
ほんの150年ほど前の話ですが、
今の常識とはかけ離れた世界です。
まず、1850年あたりの世界地図を見てみましょう。
世界中のほとんどが
イギリス
フランス
ロシア
アメリカ
ドイツ
ポルトガル
スペインなどに
占領されている状態でした。
つまり、世界のほどんどの地域は白人(アーリア人)によって
支配されようとしていたわけです。
これは1760年代に始まった産業革命が
かなり関係しているものと思います。
工業製品の大量生産が可能になったわけですから、
余剰生産分を売りさばくために
多くのヨーロッパ諸国は貿易をしなくてはいけない状況に
追い込まれていきます。
また、繊維や鉄鋼・ゴムなど、多くのマテリアルが
必要となりますから、そうした原料を確保するために
世界中に広がっていかなけれまなりません。
当時のヨーロッパには植民地がどうしても必要だった。
ちょっと話はそれますが、
こうしたバックグラウンドには
キリスト教も大きく関係していると思います。
キリスト教は1神教ですから、
「神」はたった1つ。それ以外は悪になり、
駆逐しても構わないという心理がどこかにあるのだと
私は思います。
宗教は人類の歴史とも大きく関係しています。
アフリカで生まれた人類が生息地域を広めていく過程で
農耕ができない寒冷でやせた土地(ヨーロッパ)へ
進んでいった人たちが白人(アーリア人)となり、
温暖・湿潤な地域に進んで行った人たちがアジア人に
なったわけですが、
ヨーロッパに進んで行った人たちは
厳しい自然環境の中で生存をかけた生き残りを迫られます。
人の土地も奪ってでも自分の生存を維持しなくてはならないという
厳しい自然環境下で宗教は厳格化されやすいものです。
ヨーロッパの多くの地域でキリスト教が流布していくのは
こうした人類の進化の歴史も大いに関係があると思います。
えー、話を戻します。
日本が江戸時代に長いこと鎖国していられたのは
日本が地理的にヨーロッパから遠く離れた極東に位置し、
また、海に囲まれた島国であったことが
多分に影響しているものと思われます。
もし、日本がユーラシア大陸とつながっていたら、
もっと早い時期に江戸時代は終焉を迎えていたことでしょう。
ヨーロッパ諸国は1800年代に入り、
世界中に植民地を求めて広がっていくわけです。
その流れが江戸末期に日本にも訪れた。
260年続いた江戸幕府の衰退と
ペリー来航という2つだけで考えると、
見えないことが多いですが、
世界の流れと日本を比較して考えると、
なぜペリーがあのタイミングで現れたのか?
なぜオランダだけが先だって日本と貿易できるようになったのか?
などが見えてきます。
ここにも日本の歴史教育に問題があることがわかります。
日本史は小中高でしっかりと教育しますが、
世界史に関してはもうほとんどといっていいほど
教育されていません。
高校の時に世界史の授業もありましたが、
もうほとんど覚えていません。
内容もごく簡単なものだけだったと思います。
日本史だけを勉強しても
世界との比較はできません。
高校の授業で
「比較世界史」という授業があってもいいかもしれませんね。
歴史の中の年号や事件だけを覚えても
そこに至る流れや世界の動きとの
関連性はなかなか気が付きにくいものです。
「木をみて森をみず」
まさに歴史は人類という森の中で
世界中で同時進行でおきている事ですから、
年号や事件だけにとらわれてしまうと
全体の流れが見えづらくなってしまいます。
大きな流れとしては
ヨーロッパの植民地支配の流れの中で、
日本は開国を迫られ、
明治維新へとつながってくこととなります。
次回は「歴史観に中立はあるか?」を書いてみたいと思います。
とりあえず今回はこれで
おしまい。
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